情報、データにどう反応するかは自分しだい。

情報を知れば知るほど、分析すればするほどレベルupする。
しかし、そう思って分析を進めれば、進めるほど。

ある時、これは間違いないな、チャンスだな、期待値が高いな

という状況にぶち当たる。

しかし、そこで上手く動けなかったりする。
情報の解釈は、あくまで自分の仕事。

全てはわからない。どのタイミングで何が起こるかは決してわからない。
この厳然たる事実を前提に。
しかし、いつどこで起こるかわからないが、いつかは起こる。

結局、一番人気の勝率は一番良いのであり、
コースごとの傾向はちゃんとある。

自分がいくらがんばっても、ミスは必ずあるし、知らないこと
やああすればよかったという後悔は常にある。

それは自然な人間の本性だが、その人間の自然の本性を一時的に
意識的に押さえ込んで、自分を信頼し、一貫したbetを。

希望的観測を捨てて、自分が撃てる小銃で、当てられる小動物を撃つ。
小動物はしばらく現れないかもしれないし、逆に撃っても撃っても
その餌場に現れることもある。

しかし、そのどちらも起こりうると考える。


色んな券種があり、無限に近い展開がある。
どんなbetも予測も一応可能であるがゆえに、
その自由度が競馬の夢であり、魅力の一つである。

しかし、どんな計画も裁量で立てられるがゆえに、人は
困惑し、人気という概念にも惑わされてしまう。
資金配分も自分しだい。予算も一応自分しだい。
どこで始めてどこで切るかも自分次第。



そこで、どうするか。

その無限の自由で上手く生きていくためには、
自分で自分を縛る規則が必要であり、
その規則が効率的であることと、その効率を十分に
生かしていくことの二つが求められる。

競馬は、来週も来年も行われるはずだ。
一定の期間を区切ると平均値に回帰するが、
そのランダムな流れ、一見ランダムに思えてしまう流れを
いかに乗りこなしていくか。いや、如何に溺れずに川を渡るか。

自分が最適な行動をするには、規則が要る。
みんな規則がいやだ。押し付けられている感じがするし、
ころころルールを変えたくなる。

そこから、自分の規則で、まさに言い訳の聞かない状況で
がんばれるかどうか。
毎回微妙にルールを変えていれば、言い訳は容易。
今度は、来週は、来年こそは大もうけ。

他方、自分の考えをしっかり実行してその結果得られた
地味な成功を目指すという道もある。


偶然の棚ぼたは美味しい。楽であるし、気持ちいいし、自慢にも
なるかもしれない。しかし、逆に心を乱す突然の不幸にも襲われる。
その不幸と快感はワンセット。
だが、そのワンセットの感情はひとまず押入れにしまいたい。

偶然の幸運を信じるのは、自分のスタイルと反する。と宣言してみる。